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わたひめ

Author:わたひめ
高校2年生の天然息子と、中学2年生の小姑娘の母親です。
関西出身東北在住17年目、笑門来福、日々是精進の日記です。

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やっと復活 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
あ~~~、寝込んだ-。
こんなに熱が下がらなかったのは、久しぶり。
気持ち悪くて頭痛くて寒気しながら、
点滴打ってもらってたら、
すごい病人みたいな気がしました。
そんな体が限界極まってるときに、
また疲れることを言ってくる輩がいて、
もうウキーッ!ってなりそうでした。

いや、なってたか。(* ̄Oノ ̄*)
とばっちりはダンナさま。いつもゴメンなさい。
おかげで復活。また「またか--;」と言われそうだ。^^;;;


それでも、今朝は8割方回復して、
掃除して、布団干して、ポカポカパティオでミルクティ飲んだら、
やる気がみなぎってきました。
暖かいってすばらしい。
また900キロ、行けそうです。
運転に関しては、私、絶対、肝座りました。
見ててね、ケーコさん。^^)/

といっても。
両親も一緒。900キロは2交代で参ります。
病み上がりの体が「大丈夫だから!」と拒みきれない。
娘を心配する気持ちも分かっちゃうし。
だから今回は、甘えてしまおう。娘ってお得。^^

様々な思惑が交錯して、紆余曲折、
挙げ句、みんなで体調崩したりして、
なんかどよよんな雰囲気だったけど、
行くなら楽しく行きたいね。
だって
笑う門には福来たる!!
笑って笑って福呼ぼう!

道中楽しめる秘策があれば、ぜひ教えて下さい。^^)/

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震災避難(実家にて) | 13:10:11 | トラックバック(0) | コメント(6)
疲れ 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
昨夜、寝る間際になって、
娘が嘔吐。
さらに嘔吐、そして発熱。

震災後のバタバタから、新天地生活。
父親不在で先もわからない、
イレギュラーな生活が続きます。
じいちゃんばあちゃんと一緒は楽しいけど、
子ども達もストレス受けてるものね。
ストレスは万病の素だよね。

昨夜は一睡も出来なかったので、
寝不足解消に、
ぬくぬくウキウキ昼寝したけど、
なんだか私もおかしな寒気。^^;;;

あ、娘は復活。
さすが!田舎の子は寝て治す。^^)q

もうろうとして読んでた今日の夕刊に、
「被災から40~50日目の今ごろは、
スタミナが切れる時期」
ってありました。

なんてビンゴ。

また寝ます。^^

震災避難(実家にて) | 21:04:11 | トラックバック(0) | コメント(6)
およげ、こいのぼりくん! 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
日曜日は、こいのぼり作りに行きました。
誘って下さったのは、恩人。
私の社会人としての基礎を作って下さった恩人の一人です。

ご恩。

返す前にどんどん積み重なってる気がして、焦ります。
私に返せる日はくるのでしょうか。
感謝するばっかでなく、感謝される側にならなくちゃ。
もうシジューなんだし。^^;
と、気持ちは前に前に行きがちが、
忘れちゃいけない、私たちは、
まずは、自分再興、家族平常が急務なんだ。
今は苦しい待ちの時。
「マテ!」「ハウスだ!」と、自分に。(* ̄m ̄)


こいのぼりのイベントは、型を準備された不織布に、
参加者が色とりどりの絵の具で彩色し、
こいのぼりの形に仕上げていただくというものでした。

枠とか型とか材料とか、ホントに大変なご苦労だったと思います。
さらに当日も、たくさんの参加者の要望に手際よく、
笑顔で温かく接して下さるスタッフの方々。
ありがとうございました。<(_ _*)>
隣で塗っていたご家族は、毎年参加しているとのこと。
今回は友人の分を塗りに来たそうです。
ひとをつなげる、素敵な活動だなぁと思いました。

色キチの娘は、心から楽しんでいました。
あんなに大きなキャンパス、なかなか準備してあげられませんもの。
いろいろな色があって、ウキウキ。
迷って迷って、微妙なとこも・・・。^^;
でも、それもご愛敬。
自分で作った大作に、ホントに満足した様子でした。

その間、息子はお爺ちゃんとサイクリング。
ダムの周囲を回って、こちらも至福の時を過ごしたよう。
汗が気持ちよかった-!と喜ぶじいちゃんと一緒に、
息子、「春風気持ちよかった-」って。
後ろに乗ってたくせに。^m^

こいのぼり1

出来上がったこいのぼりは、
こどもの日までダム湖畔周囲を彩ります。

でも、昼過ぎ、
急に寒くなってきて、嵐になってしまいました。
暗雲立ちこめる暴風雨の中、
バタバタと全身で泳ぐこいのぼり。
悲壮感ただよいます。
大事なこいのぼり。
持って帰る!と娘が泣きそうになってたら、

koinobori

「めっちゃ嬉しそうやん!!!」

娘と二人、すっごい元気をもらいました。^^)v



こいのぼり2

震災避難(実家にて) | 13:14:46 | トラックバック(0) | コメント(6)
人のつながり 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
土曜日は、私の親戚家族と会いました。
子ども達はほとんど初対面。
私自体も、その家に行ったのは20年ぶり以上なんですね、
風景が変わっていてビックリしました。
震災がなかったら、
こうやって会うこともなかったのかもしれないと思うと、
感慨深いです。

従兄弟の子達との子ども時間、
息子や娘は、ホントにホントに楽しかったよう。
今朝起きての第一声は、
おはようじゃなく「楽しみ~~♪」でしたから。
寝言かと思いました。^m^

楽しかった久々の人工的な遊具。
ま、津波前も現住所にはなかった施設ですがね。^^;
その文明の恩恵も、
遊び仲間の存在でこそ生きるものです。
分析好きの息子は
「やっぱり血が繋がってるから気が合うのかなぁ」
って。
一方的な感想でありませんように。^^;;;
娘は、
「私が跳ねて、○○ちゃんが跳ねると、コケるんだよー」
コケるのが楽しいって。
また一緒にトランポリン出来るといいね。

あ、ぶっちゃけはね、
ウカレてはしゃいでやり放題、
食べるし飲むししゃべくるし、
サルかおまえら!きーーっ。
めまいしそうでした。いや、してました。(/_<。)

が、その一方で、
汗かいて夢中で遊ぶ子ども達の姿に、
友達の存在のありがたさをヒシヒシと感じてました。
彼らも世代を超えてつながっていけますように。

人のつながりって不思議。
ずっと友達と意識している人はもちろんですが、
ここだけの関係かな、もう年賀状だけなのかなと感じてた人も、
実はちゃんとつながっていてくれて、
そういうつながりは時間を超えられるんですね。
それだけに「会う」というのは、
偶然のように思えても必然、
どこかで周到に準備されたシナリオのように感じます。
その喜びと感謝をかみしめて、
これからのつながりに希望を託して、

「一期一会」

座右の銘が増えました。^^

震災避難(実家にて) | 09:35:46 | トラックバック(0) | コメント(5)
心のケア 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
心の回復の過程について聞きました。
災害を経験した子ども達は、

 災害へのショック
    ↓
 ありえない!という事態への否定
    ↓
 なぜボクが・・という怒りや恨み
    ↓
 あの時こうしておけば・・・という罪悪感、後悔

といった過程を経て、
前向きな希望や新しい価値観を持てるようになり、
心から笑える日が来るそうです。

どこかで聞いた話だなぁと思っていたら、
そう、かつて読んだ本、
子どもが発達障害だとわかった時の親の心理変化に似ているのでした。
衝撃的な事実に対するという点では同じ。
人間の脳って、
「こういう場合にはこう」って公式が無数にあるシステムなのかな。
それは誰にでもある公式なのかな。個性ってなに?
不思議です。

かくいう私も、
この1ヶ月の自分にこの過程を感じます。
ショックも、パニックも、怒りも、当惑も、恨みも、孤独も、錯乱も、
ありました。
それは、今も完全には消えていません。
でも私は、ホントに素敵な人達に恵まれていて、
たくさんの助けの手を夢中でつかんでいたら、
いつの間にか、
最終段階に連れてきてもらっていたような気がします。
あと、よかったのは、

お気楽な性格、か。 ぷぷ。(* ̄m ̄)

まだ時々不安に駆り立てられることもありますが、
穏やかな時間が戻ってきたのは、本当に感謝です。

ただ、精神的に未熟な子ども達は、
そこへ至るまでに10年かかる子もいると。
学校で一緒に勉強してきた生徒達のことが気にかかります。
祖父母や親も亡くした子もいます。
何も出来ないのが本当にもどかしい。
温かい先生方の中で、
自分のペースで前へ向けますように。
また一緒に笑い会える日が早く来ることを祈っています。

そして、それはウチの子達にも言えること。
明らかに普段とはだいぶ違います。
押さえきれないほどハイになったり、
夜一人で眠れなくなったり、
ワガママや反抗が強くなったり、
私から離れられなくなったり。

そして最近、
やたら震災の頃の事を話すようになりました。
一番つらかったであろう、震災当日~2日目のことを。

これはどういう過程なんでしょう。
彼らなりに浄化しているのでしょうか。

よくわからないけど、
向き合うこと、見守ること、認めて話して、スキンシップ、
これまでの日常でも心がけてきたことをするだけですね。
そして、
今はとにかく子ども達のそばにいようと。

教育実習を未定にしました。
いつでも受け入れるよと言ってくれる校長先生、
帰る席を用意して下さる先生方、
イレギュラー続きな私に誠心誠意対応してくれる大学、
温かい言葉で励ましてくれる大切な方々、
本当にありがとうございます。

自分の子どものためだけに自分を使える
という恵まれた環境に、
最大級の感謝を感じて。

東日本大震災 | 09:52:08 | トラックバック(0) | コメント(6)
夜の明かり 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
震災から数日後、ああ、あの軍艦が来たあたりだ、
メイドインジャパンの、
立派な懐中電灯が配給されました。
説明書きは全てイングリッシュ。
近所のおばさんちで設置してあげて、

「さすが、英語出来るといいねぇ-」

と言われて、恐縮。
おばさんはきっと、
丁寧な図解が載ってたことを知らない。(* ̄m ̄)

そう、設置。
電源は大きなソーラーパネルでした。
しかも嬉しいUSB付き。( ´艸`)
携帯の動源も太陽に求められるようになり、ウハウハでした。
しかも、日中晴れていれば、
夕方から寝るまでしっかり明るいんですもの。
すばらしいソーラーパネル。すばらしいLED。

でも、
しっかり太陽を溜めた夜、
最初にその光を見たときの衝撃たるや。

まぶしーっっ!!! ))))))))Σ(≧Д≦*ノ)ノ

すごく青白くて人工的でした。
宇宙人の侵略かと思いました。

と、LEDの恩恵を受けながらも、
夜の明かり、メインはやっぱりロウソクでしょう。
ゆらゆらと動き続ける火の光は、
目を惹きつけ、
心を落ち着かせますね。
天然の催眠術です。

ま、眠るしかない状況でもあり。^^;

周辺のお家では、
結婚式で使ったキャンドルが大活躍だったようです。
キャンドル上では銀婚式まで行っていたご夫婦もありました。
減ったキャンドルは、
家族円満を予言しているようで、
ご夫婦の笑顔とともに、じんわり素敵でした。

そうそう。
そういう直径の大きなロウソクは、
リサイクルが出来るんですね。

ロウソク1

普通に使うと、こうやって縁が残るので、
カッターで縁を削って、ビンに詰めて、
真ん中にたこ糸をまっすぐ立てて・・・

ロウソク2

出来上がり!
いやん、キレイ。
震災キャンドル。(o ̄∇ ̄o)
満足してたら、

火、付かないし!!!Σ(゚∇゚|||)
なぜだ。

ロウソク3

ダンナさんが作り直してくれて、
リサイクル完了。
同じような行程だったのに・・・
むぅ。なぜだ。なんでこう不器用なんだ。(TwT。)

・・・ま、いいか。
だって時代は、
やっぱ、LED、LED!ヾ(  ̄▽)ゞオホホホホホ

東日本大震災 | 12:08:28 | トラックバック(0) | コメント(4)
震災を経て再出発。 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
マイナスからの出発はすごくパワーが要りますが、
それが正解だと思ったら、進むしかないですね。
きっと周りの温かい応援があるはず。

私は、今、感謝の気持ちでいっぱいです。

***

私は、1年前から通信の大学に通っています。
教員免許をとるためでした。
支援員として働いて1年間、
「先生」と呼んでくれるのに、
免許を持っていないことがずっと申し訳なくて。。
無邪気に質問をくれる生徒達に、
胸を張って教えられないというもどかしさもありました。
そして、2年目に入ると同時に心を決めたのです。

とるといっても、現役時代の単位を生かせるので、
ゼロからに比べると半分以下の労力。
資料の数字だけみてイケるかもって。
最後は勢いですね。f^^;

でも。(゚◇゚;)
卒業してから制度が変わっていて、
実習も単位数も増えてるし、
通信大学の規程で取り直さなくちゃな単位もあるし、
記憶力は半分以下になってるし、
何より、時間がない。
私は子どもも仕事もある主婦、
使える時間は学生時代の1/10ですね。
始めたら結構大変でした。

・・・って予想しろよっ!!!ヾ(  ̄▽)ゞ

でも1年、無い時間を継ぎ接ぎして、精進しましたわー。
2000字のレポート、25本も書きました。
いや、
再提出が3本あったからなんですけどね。^^;;;
スクーリングに行けないという物理的なハンデを、
気合いと勢いで乗り越えて、
実習校の承諾もいただいて、
課題も手続きも滞りなく進んでいました。

そこへ、大震災。|||||/( ̄ロ ̄;)\|||||||

実習予定校は大勢の人の避難所になりました。
実習を受ける前には大学の講習を受けなくてはならないのですが、
新幹線が通ってません。
それに、
まずは自分の子ども達の安全と平和を確保しなくては。
勉強の余裕も全くありませんでした。

あきらめる?TT

そんなとき、救ってくれたのは、先生達でした。
実習校の校長先生の実習受入の電話、
勤務校の先生方の温かい応援、
先生予備軍の学生仲間のサポート、
大学の事務の方々や教授達のご配慮。
友人の後押しと、
家族の応援も嬉しかった~~。
たくさんの人の微笑みに囲まれて、
なんて私は幸せなんだと思いました。

やるしかないでしょ。(⌒^⌒)b

予定より時間はかかってしまうけれど、
今は、初志貫徹を目指して、前へ踏み出しました。
その一歩が、東京だったわけです。^^;
これから数日でまた4本のレポート。
でも、なんか、やれる気がする。

そう!
まずは、思い込みから! (≧ω≦)b

***

避難所で、先生はすごい存在感でした。
寒いと震える生徒に上着を与える先生。
大丈夫だよと寄り添う背中、
力強くおにぎりを渡す手。
愛情と責任。みんなの親でした。
子どもが安否不明の私にまで、気遣ってくれました。
不安で押しつぶされそうになる子ども達とともに、
私も先生達の心遣いに救われました。

家族あってこその学校だからとご配慮くださる校長先生、
ダンナの入院を心配し、情報を下さった先生、
「また一緒に勤務しましょう」復帰を励ましてくれる先生、
離れている私に学校の様子を連絡くださる先生、
待ってるよって言ってくれる保護者の方。
本当にありがとうございます。
学校が大変なときに何も出来なくてゴメンなさい。
生徒達と連絡が取れないのも寂しいけれど、
今は母親に徹します。
そして、いつか必ず戻ります。  

パワーアップして。(* ̄Oノ ̄*)

震災避難(実家にて) | 15:56:01 | トラックバック(0) | コメント(8)
津波から守られる 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
東京にいってきました。(詳細はのちほど^^;)
東京駅
節電ってこれかぁと思った次第。
足下を照らす照明は必要ですが、
掲示板を目立たせる照明は無くてもいい。
そっかー。
プラスαなことって多かったんですね。
要るもの、余分なもの。
つくづく、災害復興は取捨選択の連続です。
私たち庶民の生活でも。

***

大津波は、日常を無情に根こそぎ持って行ってしまいました。
なにもなくなった。(──┬──__──┬──)
その惨状を直視するのは、とてもつらい。
でも、そこで生きるためには、目を背けてはいられません。
そして、よく見ると、
残ったものもたくさんあるのです。

我が家においては、ダンナさんの静かな笑いと共に。^^;

例えば、クリーニング。
財布の中に「3月10日15時仕上がり」って伝票を見つけて、
受け取りに行かなかったことを悔やみました。
クリーニング店は町の中心部、
一緒に流れちゃったなぁ・・・と。
ところが。明細を見ると、
「グレーズボン(男性)
 縦しまズボン(男性)
 グレー背広
 アルパカ背広」 
すべてダンナさんの一張羅。

私のモノ、なし。Σ(⌒◇⌒;)

いつもならスカートくらい一緒に出すのに。^^;


やっと道が復興されて、
2週間ぶりに訪れたダンナさんの職場では。

頭からスッポリ津波を被って、
コンクリートの外壁だけを残した職場、
玄関にはトラックが乗っていました。
家くらい高価な顕微鏡が畑に転がり、
2階の実習室には生木が横たわっていました。
外と内が入れ替わったような天変地異な現場で、
瓦礫の中に埋もれていた、ダイビングバックを発見。
中には、ダイビング機材、

わたしの。ヾ(  ̄▽)ゞ

無傷で泥も付いてなくて、ピカピカ輝いていました。
すぐに、レギ、くわえました。これはうそ。(^∇^;)


荒野のような津波現場で、
作っていたコミュニティ誌の売上代金を発掘してくれた!
という、嬉しい連絡もいただきました。TT
守ってくれたのは、ぶたさん貯金箱ですって。
愛しい。o(T^T)o


わた所有、留まる。
なんか、ゴメンなさい。TT

でも、ひとつ腑に落ちないのは。
そんな事実が明らかになった“最初”のときも、
ダンナさんは、

「またおまえか」

って言った。
哀愁を帯びた背中で。悟りきった表情で。
“また”って。
平常も同じ??食い物にしてる? (* ̄m ̄)

***

こうやって、
津波から守られていたものがたくさんあります。
こんな大きな力を受けても、留まった。
これらは、きっと余分なものじゃなく、
残るべきもの。
今後に意味があることなんでしょう。
例えば、
「クリーニングはダンナさんのと分けて出せ」(* ̄Oノ ̄*)
とか。

いやいや。^^;

生死の境も、有無の境も、
なにか大きな力で導かれているような気がします。

東日本大震災 | 13:34:10 | トラックバック(0) | コメント(4)
被災地での「笑い」 「東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)(991)」
みなさん、昨日の日記にも、
たくさんのメッセージありがとうございます。
ホントに感謝。TT
今の私のキーワードは、受容と前進。
アグレッシブな子ども達に、追いつけ追い越せ。
しなやかな強さを身につける、いい機会ですよね。

連日、高校や大学、会社の友人達が会ってくれています。
おしゃべりして、笑って、笑って、デトックス。
10代後半~20代前半を過ごした仲間達、
土台が一緒なんですね。
何でも話せるってすごい。
ホントにホントに大切な人達です。
で、最近、

アゴの付け根が、筋肉痛。^^;

***

被災地では、電気・水ナシの生活、
生きること自体に一生懸命でしたが、
子どもと一緒の被災地生活、
精神的にはとても満たされていました。

その後の暗黒の日々を振り返っても、
決定的に違うのは「笑い」の存在です。
非日常な日常で笑っていた記憶が沢山ありますが、
忘れられないのは、一発目。
大津波の後で、
感動の再会を果たした約1時間後。・・・はやっ!^^;;;

再会した場所から、山の尾根を歩いて約30分、開けた場所へ。
そこから向かいの山の上に、
かつての姿のまま並ぶ家々が見えました。
そこが、目指す我が家です。
でもその間に横たわっていたのは、

津波現場。(──┬──__──┬──)

山を下りて、驚きました。
目の前は木片や鉄くず、一面の瓦礫。
山の上から見て、確認していたはずです。
なのに、別の所へ来たような衝撃がありました。
山の上から俯瞰したときには分からなかった、威圧感。
その後テレビで画像を見たとき、
あ、違うのはこれ、この威圧感だ!と思いました。
テレビ、山の上、グランドラインという順番で、
現実味が高まっていたのを感じます。

山に突き刺さっている船、
黒い窓を並べる建築物に垂れ下がるブイ、
ガードレールに引っかかっている無数のワカメなどが、
異様感を際だたせていました。
辺りは、泥と腐ったようなニオイが漂っています。
そして、
極限の殺伐が画像として騒がしく入ってくるのに、
耳には静寂で静寂で・・・こわかった。
薄ら寒いって言葉がピッタリでした。

津波注意報は出されたままだし、
さらに、夕暮れも迫っています。
瓦礫や泥で道は見えません。
でも、明るいうちに越えなくては。

子ども達の命は、私の判断に委ねられている。
行くしかない!

そう肝を据えて、
「いい!?お母さんに付いて、
 前見てテクテクテクテク歩くんだよ!」
「はいっ」
子ども達の緊張したまなざしを確かめて、
いざっ!!!と一歩を踏み出して!


コケた。Σ('◇'*)


どうなの、わたし。(--,)
一瞬でドロドロ。
手のひらは流血だし、本気ゴケ。
そして、一同大笑い。
「さすがお母さん!」って。

さすがって。TT
体を張って笑いを取る。芸人の鏡やん。(* ̄Oノ ̄*)

その後、
息子が足下の電線にからまるタコを発見して、
「今日はこれ、食うべ!」って笑いあったり、
建物の下をくぐるときには、
娘が「トンネルみたいだね♪」って。

肩の力が抜けました。
「笑い」は私を冷静にし、
結果、早く家に着く原動力になったと思います。

東日本大震災 | 04:05:56 | トラックバック(0) | コメント(9)
震災の後遺症? 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
もう、いい加減にしてー!!(ノT∇T)ノ ))))))

地震、福島原発、政府の動き。
津波の大災害で先が見えない上に、局面は次々に新展開。
その度に、
子ども達の学校のこと、
現地にいるダンナさんの体のこと、
私の勉強や仕事のこと、
M7の余震でまたひっくり返ったらしい家のこと、
原発から近い義父母のこと、
帰る時期、
レベル7にアスベスト。
いろいろなことが頭の中を駆け巡り、
ちっとも落ち着かない。平穏がやってこない。

と、関西に避難している私でさえ、思う。

現地で被災地生活を送っている人たちの不安は、
いかほどか、計り知れない。
私も、被災地ではホントに苦しい日々もあったけれど、
今、日常をつつがなく、平和な生活をしているのは、
とても幸せなのだけど、

申し訳ない・・・。

今は、湧いてくるこの気持ちの対処に困っている。
被災地で私が出来ることはまだあったはずなのに、
義父母に勢いを挫かれたという無念がある。
いや、彼らの所為じゃなく、私の弱さが一番の敗因なんだろう。
理解しなくちゃと思うのに、被害者意識が離れない。

被災地の番組を見ても、地震速報を見ても、
現地の人々の心を思い、平和でゴメンと思う。
満開の桜を見ても、美容院で髪を整えてもらっても、
今までの様には喜べない。

物資を送ってあげたいと思うのは、
友達を助けたいからなのか、
自分の後ろめたい気持ちを慰めるためなのか、わからなくなる。
さっきまでもらっていた方なのに、
こちらでも助けられているのに、
助けてあげるなんておこがましい。

震災の後遺症?

日中、友人達ととても楽しく過ごすことができ、
もう大丈夫!と思う。
でも、また、夜になると深みにはまる。
この闘いも、先が見えない。

だけど今日も、
子ども達は元気に学校へ行ったし、
友人は会う約束をしてくれた。
母はおいしい食事を用意してくれ、
父は笑いを提供してくれる。
(私の笑いは、父譲り^^;;;)
親戚の方々の温かい思いやりも、
ポジティブな電話も温かいメールも、じゅんじゅん心に染みてくる。

素敵な周りの人たちの力を借りて、
私は自分と闘おうと思う。

震災避難(実家にて) | 08:05:21 | トラックバック(0) | コメント(9)
被災地の社会に大切なこと 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
地震後、地域で唯一無事だった中学校には、
たくさんの人達が避難してきました。
体育館は、翌日の卒業式の準備がほぼ終わっていました。
紅白幕の下、着の身着のままの人達、
ドロドロになったグリーンシート、レッドカーペット。
3年生たちはどんな思いで見てたでしょう・・。TT

そうやって始まった被災地の生活、
私は、社会というものを学びました。

***

学校にあるものをいろいろ体育館に集めました。
特にお茶は喜ばれました。
水分は取らなくちゃですし、何より温かいものはホッとします。

毛布は全員に行き渡らず、
生徒達は、段ボールを敷いて、何人かに一枚の毛布を被って、
教室で使っていた膝掛けや借りた上着をプラスしていました。
先生達は、毛布が入っていた袋を床に敷いて寝ました。
一睡も出来ませんでしたがね。^^;

夕飯は午後8時頃におにぎりが1人1つ配られました。
調理室で炊き出しをしてくれたのです。
芯の残ったおにぎり、まだ温かかった。
早く早くと握ってくれたのでしょう。
手、真っ赤になったでしょう。本当においしかった。

お茶、毛布、おにぎり。
まずは生命の維持にと動いていたとき、中学生は大活躍でした。
みんな、先生の号令1つでキチッと動くので、すごくスムーズ。
まとめる人、動く人、指揮系統をハッキリさせるというのは、
有事には大事なことですね、きっと。


震災の夜は、みなそれぞれ「たどり着いた」という雰囲気で、
思い思いの場所に寝ましたが、
翌日、対策本部ができ、人を整然と何ブロックかに分けました。
地区ごとの名簿も作られ始めました。
まっすぐな通路が出来たことで、物資の配布もしやすくなりましたが、
見た目にもスッキリして、気持ちが落ち着くのを感じました。

数日後に行った避難所では、
自治会や班、係などが決められていたよう。
トイレ当番表がありました。
水をプールから運ぶ、掃除するなど、
班毎、仕事毎に中学生が割り振られていました。
それを見ていたら、知り合いの男の子が、
「役に当たってるから!」と走って行きました。
表示するって、
連帯感、責任感が強まるのかなぁと思いました。

地区での配給でも社会を感じました。
配給って、例えば10人いたら10個とか、分かりやすい数では来ません。
物資の仕分け、品目毎に分けるだけでも大変でしょうからね。
そのアバウトな数の物資を公平に分けるのは、結構骨が折れます。
でも、不公平や隠蔽は不満のもとなんですね。
「なぜ?」の問いに応える時間もなかったですしね。
何より、
食べ物の恨みは恐ろしい。^m^
誰にでも分かるような公平な基準、公明正大さ、明朗さも、
コミュニティの平和に必要だなと感じました。
まぁ、限られた人数だからというのもあるでしょうが。

こんな中で、個人的に心がけたのは、やっぱり、

「笑い」ヾ(@^▽^@)ノ

対面して心の底から笑う。笑いあう。
笑いは、コミュニティの潤滑油。
お腹が空いていても元気が出る、最高のごちそうでしたよ。

東日本大震災 | 07:54:34 | トラックバック(0) | コメント(4)
水のありがたみ、電気の支配力 「『家を建てちゃった人集合 (^^)v』(40596)」
水は生命維持に不可欠。
空気は3分、水は3日が限界ってくらいですものね。
知識としては分かっていたつもりですが、
それ、ホントにそうなんだなぁと実感した次第。

毎日の水くみは欠かせませんでした。
食用はもちろん、
お風呂やトイレ、洗濯、歯磨き、
日常生活は、水がなかったら正常に行えないことだらけです。
だいたい、自分達自体も7割くらい水なんですしね。

そういった意味では、
現代生活では電気の必要性も、かなり高いでしょう。
電気が来ない照明は壁の一部になってましたし、
全ての電化製品は鉄の塊に成り下がっていました。
スチームで調理できる電子レンジ、
ドラム式で節水できる洗濯機、
シュンとしてましたから。^m^

娘は音のならない電子ピアノで練習していました。
口で出す音が、意外にメロディになっていて、
心地よかったです。
こういう殺伐とした空気の時、音楽は心の角を取りますね。

電気がすごいなと思ったのは、
家庭内のもの、殆どに絡んでいることです。

例えば、トイレ。
レバーは手動だし、流れていくのは水だし、
ノンエレキと思っていたら・・・
絡んでいるんですね、地中で。
ウチは合併浄化槽なのですが、
その浄化の課程に電気が使われているとか。
電気がないとポンプが動かなくて、
タンクからブツが溢れてしまうって聞きました。
なんておそろしい話。w( ̄▽ ̄;)w

太陽光発電でも驚きました。
屋根にパネルが乗っている家、いいなぁと思いました。
電気、本気で恋しかった。
初めて太陽光にしなかったことを悔やみました。

でも、違った。(* ̄ー ̄*)

あれも、
電気がないと操作パネルが動かないから・・・

屋根の一部か。^^;;;

ま、でも、
そもそも、災害時のための装置じゃないんですものね、
「ソンナコト イワレタッテ!」
彼の言い分もわかりますけど。
立派に乗ってて、その輝きがまた、寂しかったです。TT

そう見てみると、今の生活では、
電気以外の単一の燃料で動くモノってすごく少ないですね。
石油ファンヒーターも灯油だけじゃ動かないんですもの。
石油って冠付くのに。

ね、
こんなに電気に頼ってる生活って大丈夫なの?
不安になりますが・・・。

そんな中、我が家で一番大きな顔をしていたのは、
上でお湯が沸く反射式ストーブ。^^)v
薪ストーブのお家は落ち着いた雰囲気だったし、
避難所に作られたぼっとんトイレも光ってましたよ。(*TーT)人(TーT*)

やっぱり、昔の生活って不滅ですね。

東日本大震災 | 07:49:39 | トラックバック(0) | コメント(6)
被災地の一日
震災から4、5日経つと、
配給や給水などの共同作業が、
ある程度時間通りに行われるようになりました。

午前10時と午後4時頃に食糧や生活品の配給、
給水はお昼すぎ。
ま、時間は激しく流動的でしたがね。オージーレベルで。^^;

でも、その時間を基準にして、間に、
地震で散乱した部屋の掃除や洗濯など、
自分たちの事が出来ます。
電話などないので、連絡事項は全部足で稼いでましたからね。
伝達だけでも一苦労でした。
目安が示されただけで、
精神的な負担がすごく減った気がします。
周知のスケジュール、
社会生活には必須ですね。

電気がなく、ロウソクも限られていたので、
夜は早く寝ていました。
午後6時には暗くなるので、夕飯食べたらすぐ床へ。
午後7時就寝。^^;
早すぎ。
しかも余震があったりで、子ども達はなかなか寝付けません。
暗いから本を読むことも出来ず・・・
で、活躍したのが、

わた蔵劇場。(* ̄Oノ ̄*)

創作の物語は、結構ウケました。
話している私も楽しい気分になれたし、
やっぱり、笑いは生活の核ですね。
ま、口からでまかせ、内容はサッパリ忘れましたが。^^;
他には、「将来の夢」や「もしもの世界」なんかを話しました。
息子は理科好き。
特にその分野の食いつきはすごかったです。
しかし、超劇的文系な私、
ネタが続かず。^^; もっと勉強しておくんだった。TT

娘の夢は、動物好き→ペットショップの店員さん→
そして、動物のお医者さんと進んでいました。
彼女はまだまだ夢物語な雰囲気ですが、
息子10歳、結構しっかりしたビジョンを持っていて驚きました。
そのために今できること、やらなくちゃいけないこと、
語ってましたよ、

実行はともかく。^^;;;

そうやって夜早く寝るもんだから、朝も早い。
太陽とともに起きて、5時には朝食を。
一息ついて、
6時から30分間するニュースをラジオで聞くのが日課でした。
貴重な電池ですが、
ラジオからの声や情報は不安を和らげてくれます。
大切な30分でした。

そういえば、
20日に友人が持って来てくれた新聞も嬉しかったです。
翌日の12日にも朝刊を出していたなんて!
すごいな~、河北新報!!^^
13日の朝刊で、我が町の惨状を読みました。
そんな大変なことになってたんだ。
渦中に居ながら、傍観者のような、不思議な気分でした。
これぞ活字マジック!?

朝ご飯が終わったら、メールチェックに出発。
これにも往復1時間半くらいかかるから、
帰ってきたら配給、給水。
午前中はあっという間に終わりました。
夕方は携帯の充電に並ばなくちゃでしたから、
午後の配給までの数時間が、家のことを出来る時間でした。

お風呂は2週間入れませんでしたが、
洗濯はしましたよ、川で。

ワールド オブ ザ 桃太郎。(* ̄m ̄)

ゴミ袋に洗濯物と少量の水と洗剤を入れて、
上から踏むのは子ども達の仕事。
水、すごい黒かった。^^;;;
それをギュッと絞ったら、川へ。
山を下りて、津波現場を越えて、川を上流へ。
比較的湧き水に近いところで洗濯物をすすいで、しぼって。
しぼらないと、洗濯物ってめちゃくちゃ重いです。^^;;;
こちらも自転車で往復、作業時間も含めて3時間はかかりました。

そうそう、雪の日には、水確保にと雪を集めましたよ。
子ども達も手真っ赤にして集めてくれました。
一番キレイに見えた車の上の雪は、真っ黒で、
植木鉢の水やりにしか使えませんでした。
車はキレイにしとかなくちゃね。^^;
近所には、
樋を切って屋根の水をタンクに集めていた家もありました。
ウチはお風呂にお水を張っていて、ホント助かりました。

「落とし忘れ」という指摘もありますが。ヾ(  ̄▽)ゞ

被災地生活は、
水のありがたみ、電気の支配力、
社会というものの機能、
ヒシヒシと感じます。

東日本大震災 | 07:41:48 | トラックバック(0) | コメント(5)
被災地生活の救世主(その3)
気持ちが上向いて来ているのを感じます。
「書ける」
これは私の精神状態のバロメーターなんだな。

***

オンラインだけでなく、
アナログなつながりも、被災地生活の救世主でした。

例えば、
配給で1日2回、給水に1回、人と会うこと、
配給をもらうために、人と歩くこと、
公平に分配出来るよう、人と考えること。
アナログに体を動かすこと、頭を使うこと、
そして何より、人との対面コミュニケーション。
これってすごく、心の栄養になっていたんだなと思います。

私たちは団地の新参者、
ご近所づきあいが頻繁な方ではありませんでした。
会えばお話する程度。
だったのに、
「電池もらいに行かない?」
「給水車が来たよ!」
「お湯、湧かしたからあげるよ」
近所の人達が、わざわざ誘いに来てくれました。
トイレはどうしてるとか、
冷めたおにぎりの料理方法とか、
ロウソクの再利用法とか、灯油タンクの構造とか。
平常時にはされることのない何気ない会話が、
たくさんたくさんありました。
落ち込んでいる私に、努めて接触してくれていたのかもしれません。
その時は、言われるがまま動いていた感があります。
でも、確実に、私は助けられました。
地区の人達、本当に本当にありがとうございます。

これがわかったのも、あの「ひとりぼっち」があったからかな。
ま、まだ感謝は出来ませんがね。ぷぷ。^m^


私が乗っていた車は、
そんなつながりの象徴となりました。
(長くなりますので、お時間のあるときに・・・^^)

震災後、家族の安否確認に行くには山道を行くしかなくて、
そんな道、私が運転して行ったら、

二次災害。ヾ(  ̄▽)ゞ

なので、同じ方面へ行く先生の車に乗せてもらいました。
その時は、数時間で戻るつもりでしたから。

でも、その後、子ども達の無事を確認し、
「まだ一緒には帰れないんだ」
と伝えたら、
既に災害対策に奔走していたダンナさんも帰れないので、
「今日も学校で寝るの?」
娘に泣かれてしまいました。o(TヘTo)
泣き叫ぶのではなく、グッと堪えた涙でした。
小学1年生。
彼女なりに状況を理解していたのでしょう。
でも、止められなかった涙。
当然ですね。
子ども達も、寒くて、暗くて、食べ物もない学校で、
不安な一夜を過ごしていたのですもの。TT

でも、他の先生達だってみな、気になる家庭。
避難所にいる生徒達のことも心配だし、
私一人が帰るわけには・・・と言い出せずにいると、
一緒に行った先生が、帰っていいよと。

「学校にはたくさんの人がいるけれど、
 子ども達には先生(私)しかいないんだから」

と。
支援員という立場を考慮しての言葉でしょうが、
温かかった。。
じゅわんと心に染みました。
普段もそう思っているつもりなのに、
あまりにも平常を越えた状況に、混乱していたのでしょう。
「無事」を確認出来ただけで満たされていた、というのもあります。
冷静に原点を示していただき、この言葉は深く心に刻まれました。
先生像と共に。

そして、私は子ども達と帰宅。

斯くして、
車は20キロほど離れた勤務地に放置となりました。
日常で精一杯、取りに行く術はありませんでした。

が、数日後、車は戻ってきたのです!

20キロの距離を、何人かの人の手を経て。
最後には全く知らない人から、ダンナへカギが手渡されたとのことでした。
何百台の車がなくなってる津波現場で、
誰かに使われていても、
もう戻って来なくても、仕方のない状況で。
でも、帰って来た。目の前に。q(T▽Tq)(pT▽T)p

温かい心のつながりの象徴。

もう10万キロ以上走ってて、
ちょこっと錆びててオンボロだけど、
輝いていますよ、アトレー。^^

東日本大震災 | 09:27:56 | トラックバック(0) | コメント(6)
被災地生活の救世主(その2)
確実に、
子ども達にパワーをもらっています。
ありがたい。^^

***

家族4人の無事が確認でき、
食事と暖、生命維持の予測がついたあと、
思うのは両親のことでした。

実両親も義両親も離れた場所に住んでいます。
目の前に広がる被害の大きさを見ると、
それ相応の報道もされているはず。
全く知らないならともかく、
概観だけの情報ほど不安なものはないです。
心配してるだろうな。
でも無事を伝える手段がありませんでした。
水や食事の確保で、
生きるのに精一杯だったのもあります。

それが、
13日の昼過ぎ、平和に配給のおにぎりをいただいている時、
義母と叔父が悪路を車で3時間、駆けつけてくれたのです!
彼女たちのおかげで、私たちの生存を比較的早く知らせることができたのですね。
当時、町への道は殆どが寸断されていました。
緊急車両が優先だっただろうし、
どれほどの思いをぶつけて遠路たどり着いてくれたのかと思うと、
その気持ちに胸が締め付けられます。
お義母さん、おじさん、本当にありがとう。

外部との接触手段、携帯電話の復興は、
私が居たあたりはAUが一番早かったです。
15日には通じてて、羨ましかった~。
その後、近所の人が「自分はだいたい連絡とったから」
と携帯を貸して下さって、
貴重な電池を使って実母に電話させてもらいました。
一生忘れない電話です。

何しゃべったか、覚えてませんがね。^^;;;

基地局が出来て、私の携帯電話が通じたのは、
震災から1週間後の18日でした。
新着メール84件。
たくさんの友人からメールが入っていました。
当日はほぼ読むだけで電池終了~。
声を聞きたい、聞かせたい。
でも、充電出来ないので、電話は出来ませんでした。

地区内の避難所は発電機が小さく、
さらにそこに50人くらい集まってタコ足充電。
ほとんど充電出来ません。
だから、
大きな発電機がある遠くの避難所まで行って、充電していました。
自転車で30分かけて電波の入る所までいって、
メールの送受信をするのも日課でした。

その頃のわたし、
子ども達が義父母の所へ行ってしまい、
ダンナさんも災害本部に寝泊まりしてて、
ガソリンなくて追いかけるのも叶わない。
ひとりぼっち感満載。TT
メールはホントにホントに嬉しかった。

余震に震えながら真っ暗闇の中、
一人で布団にくるまって、泣きながら見た、
携帯電話の光の明るかったこと!
メールの文字の嬉しかったこと!
友人からのたくさんの励ましのメールが、
私を最後まで追い詰めなかったんじゃないかなって思います。

ま、そうやって一晩中見てるから、
毎日遠路充電となっちゃったんですがね。^^;

携帯電話、友達からのメール、
落ち着いてからみたGoogleのPerson Finder、
このブログのコメント群、
被災地生活の救世主。
人のつながりが、かけがえのない私の財産です。
みなさん、本当にありがとうございます。

豊かな人生に感謝の念、
墓の中までご一緒に。(* ̄Oノ ̄*)

東日本大震災 | 07:32:50 | トラックバック(0) | コメント(7)
ビックリ。 「子育て奮闘記f(^_^;)(352031)」
先ほど、ビックリな報告があったので、
本日2個目の日記です。

息子、
「そういえば・・・」的に話だし、
転校先の小学校で、
「学級委員になった」と。

は?Σ( ̄Д ̄;)
えーっと。
状況が理解出来ないのですが。^^;;;;;

我ら純正被災者、
ここにはあちらの小学校が始まるまで、
1ヶ月くらいしか居ないし、
間借りしてる感覚で、
私は、
ひっそり静かに影薄ーく過ごすものかと思ってたのに。
だいたいこの学校のスタンダードも知らないのに。

その旨伝えると、
「だから予備の人を頼んだんだ」
と。
自分が居なくなってからの学級委員を
もう一人選んでもらったから、大丈夫だと。

大丈夫って。
なんだこの隔たりは。(゚゚;)

娘は、
「迷ったぁぁぁ~~~~」
絶叫しながら帰ってきました。
同じ地区の子達と帰ってきたのですが、
話し込んで、
その子の家まで行っちゃったって。( ̄◇ ̄;)
歩いている人に家を聞こうと思って、
横を見たら、帰宅すべき家があったとか。
「冒険だったー!うふっ」

「うふっ」って。^^;

なんだかドッサリ疲労感。
子どもの順応性って、すごい。^^;;;

震災避難(実家にて) | 19:08:56 | トラックバック(0) | コメント(2)
被災地生活の救世主(その1)
家を建てるときのキーワードの1つに、危険回避がありました。

それで、まずは土地を高台に。
ま、
低地は高価で手が出ませんでしたけどね。f  ̄. ̄*)
途中で休憩したくなるほどの坂、
子ども達は愚痴愚痴でした。
いや、私も雪の日は悪態ついてましたね。
でもこの坂が守ってくれた。
今までとは違う気持ちで通れそうです。

そして住設では、動源で配慮、危険分散を。
時流はオール電化です。
便利だしエコだし、確かに魅力的でしたが‥。
最後はニオイですかね、
本能というか勘というか、
「なんか違う」
って。
改めて今回、その感覚を大事にしたいと思いました。
(いや、ダンナさんはデータを集めて解析、
 確信を持って今の生活形態を選択したのでしょうね。ぷぷ。^^;;;)


おかげでウチに灯油がありました!!O(≧▽≦)O
もちろん、
灯油なんて買いに行ける状況じゃなかったです。

ウチは、調理はIHですが、給湯と暖房が灯油です。
水も電気もなかったから当然機器類は使えませんが、
ウチにはあった、反射式ストーブ!((*´∇`人´∇`*)))
階段下収納の奥の奥に、
ゴミ袋に包まれて、
高機密の家では使えないと言われながら、
邪魔だなぁと言われながら、
でも‥とあり続けたストーブ。

ストーブ、えらい!

いや、えらいのは、
危機管理なってるダンナさんか。^^;
あ。
カセットコンロをとっておいたのは私だ!
・・こっちは、単なる溜め込み体質か。^^;;;

ストーブとカセットコンロ、
この2つがなかったら、生命維持にもっと逼迫してたと思います。
ただ。
平常時の高機密な家には、やはり向かないですね。
使い続けていると、燃焼系の臭いが充満して、
新たな災害をもたらしそうでした。
いただいた命、ウッカリでなくすなんてあり得ない!!(゚◇゚;)
だから、コンロを使うときは両窓開けて、
ストーブも一番大きな部屋で、
朝昼夕それぞれ1時間に制限してました。

結局、寒かった。ぷぷ。(* ̄m ̄)

反射式ストーブは、
お湯も沸くし、オーブンにもなるし、優れものです。
カレーは、コンロで沸騰させてからストーブで煮込みました。
‥またカレー。ヾ(  ̄▽)ゞ
キャンプが活きてるでしょ。

何より、火の光は心を和ませますしね。

ストーブとカセットコンロ、
被災地生活の救世主。
今後電気が通っても、ずっと我が家にあり続けるでしょう。

東日本大震災 | 09:33:33 | トラックバック(0) | コメント(4)
始業式 「子育て奮闘記f(^_^;)(352031)」
震災の第一級経験者として、
たくさん書きたいことがあるのですが、
私には守るべき子ども達がいて、日常は前に前に流れています。
その流れに乗るので精一杯です。
でも気を抜くと、気持ちがズズンと落ちて行くのを感じます。
これってPTSD?
振り返りは、いましばらく待ちかな。
せっかく子ども達が引き上げてくれるし。( v ̄▽ ̄)

今日は転校第一日目、始業式でした。
我が母校は町中にある850人くらいのマンモス校。
先生は50人以上、転校生も15人以上いました。
朝は集団登校で列になって行くのですが、
片道20分足らずの道のりの中、大きな道路も踏切も渡ります。
生まれたときから山に囲まれた田舎で、
同じ顔ぶれの中でのんびり過ごしてきた子ども達、
大丈夫かしらと思ったのですが、
いや、大丈夫ですね、いまんとこ。
ってか、これは、楽しんでる?^^

「ええーっ!?汽車と同じとこ歩いていいの?」
踏切を渡るときの娘の発言です。正確には電車ですがね。^^;
向こうでは、
汽車は3mくらい盛り土された上にある線路を走るものでしたから、
踏切だけど「おなじとこ」って感覚、わかります。
でも、こわかった。
遮断機が下がった時。
兄妹、仲良く前進前進、踏み切りギリギリ!!!Σ(`□´/)/
横断歩道と同じ感覚なのでしょう。
そういうちょっとした違い、これからたくさん学ぶんでしょうね。

でも、不安はだいぶ減りました。
だって、この学校の生徒たち、転校生慣れしているのですもの。
転校生は年間50人は下らないらしいし、
VISAの関係で10日間だけ居る子とか、外国人も少なくない。
先日、手続きに来た時も、
私が職員室で話を聞いている間に、息子は友達を作ってました。
「おばさーん!僕ら友達だよーっ!」
4人で肩を組んでアピール、嬉しかったなぁ~。(T▽T)
今日はサッカーボールを抱いて、彼らと遊びに行きました。
人類みな兄弟な息子も、さすがです。
慎重な娘も、
「向こうから話しかけてくれたんだよ」
友達を一人作れた様子。
近所には同学年の子も多いみたいだし、いい感じ。^^

そうそう!始業式では、全校生徒で校歌を歌ってました。
30年ぶりに聞いた校歌。
背中がゾクゾク、でも温かかったです。
懐かしい校章、名札、校舎、校庭。
そういえば、先生の中に高校の同級生もいたっけ。
あぁ、我が子が母校に通うって、こういうことかぁ・・・。
私も貴重な経験をさせてもらってます。



ピロティに張り出されたクラス分けを見て、
大喜びの息子。

「すごいよ、お母さん!また16番!」

出席番号の話でした。
いや、まず、クラスだろ。(* ̄m ̄)

でも、相変わらずが、うれしい。^^

震災避難(実家にて) | 15:45:22 | トラックバック(0) | コメント(8)
東日本大震災中のわたし。
やっと私のパソコンが世界とつながりました。
平和な関西の実家に来てもインターネットが出来ず、
まだ続くのか被災地!って感じだったのですが。^m^
のも先輩、ありがとうございました!
結局パスワードは分からず仕舞いで・・。^^;

あ。そう、今は三重県の実家にいるのです。

ホントにホントにホントに、ホントに、
いろんなことがありました。

震災時は建物の2階から人を支えて逃げ出し
大雪の中、山頂で津波にのまれていく町をただただ呆然と見ていました。

家族4人はバラバラの所で被災、
 ダンナさんは人を助け、娘は助けられました。

安否不明で2日後に山道を越えて感動の再会をし、

江戸的な生活を力強く子ども達と生きていたら、

義父が疾風のごとく来訪、子どもたちを連れ去って、

引っ越して最初に出来た友達、
10年来腹を割って付きあえた無二の友が死んで、

寒くて真っ暗、余震が絶えない家に1人で居たらおかしくなって、
 3日間泣きっぱなし。それも、
 感情の高まりで泣くという動的な涙でなく、
 ただはらはらと流れる静的な涙、止まりませんでした。

同時期に災害復興で不眠不休だったダンナさまも立てなくなって、

彼の入院先でガソリンやスーパーに並んで、被災地仙台も経験して、
 運転で人災起こしそうになって、でも私がしなくちゃで、
 まるまこさんありがとう^^;

ダンナ実家で落ち着かせてもらおうと思っていたら、

福島原発で放射能値が高く、子供たちが危険だと言われ、
 あんたたちが連れてったんじゃん!とツッコミ入れつつ、

今度は原発の避難で750キロを1人で運転して、
 吹雪の中夏タイヤで震えまくり、
  何で夏タイヤ!?なツッコミは、ダンナさん宛で。^m^
 愉快犯なトラックにあおられ、子ども達が反撃して、スッキリして、

そして実家に着き、現在まさかの転校手続き中。

息継ぎナシで一気に来た感じ。
この急展開の連続、頭おかしくなりそうです。

ま、だいたいおかしいけど。^^;;;;;

今こちらでは連日、親戚やたくさんの友人がお見舞いに来てくれます。
被災地では、家族も家も助かった者として、
「私たちがやらなくちゃ」
という気持ちでいっぱいでしたが、
今は、私たちは守られる側なんだなと実感しつつあります。

これからが大変です。
考えても何も見えず、途方に暮れます。
津波の映像や友人のこと、ダンナさんの体や子どもの学校、
今までのこととこれからのことがグルグルして、
眠れない夜が続いています。
でも、私は前を向く。
津波で教えてもらった「家族一緒なら大丈夫」を胸に。
核がある。これは強い。^^

忘れちゃいけないことがある。
伝えたいことがある。
ブログもボチボチ再開しますね、また読んで下さい。

東日本大震災 | 08:40:19 | トラックバック(0) | コメント(12)

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