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わたひめ

Author:わたひめ
高校2年生の天然息子と、中学2年生の小姑娘の母親です。
関西出身東北在住17年目、笑門来福、日々是精進の日記です。

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ボランティアについて
震災があって、怒濤の日々を過ごしてたら、
心ある人たちが物を持ってきてくれて、
私たちはとりあえずの生活が出来るようになった。
トラックいっぱいの生活用品や食料を、
荷台から、群がる被災者に分け与える。
「ありがとう」の言葉と笑顔が周りを包む。
救世主ボランティア活動。

それは、急性期には本当にありがたい支援だった。
それがなければ、今のような生活はもっと先の夢だったはず。
いや、人の流出が止まらなくて、ゴーストタウンになってるかも。
その活動への感謝を忘れているわけではない。
もちろん、ない。

でも。

とりあえずの生活が出来るようになった今では、
私たちは前の生活水準に近づけたい、
さらにはよりよい生活を!と欲が出ている。
その欲は、復興の礎では?人類の進化の源では?
と尊重したいのだけど、
「それはちょっと贅沢じゃ?」という人もいる。
現地の人が仮設で店を再開したのに、
すぐ近くの仮設住宅で炊き出しを続ける人もいる。

被災地の復興は落ち着いた日常の再建、
とりあえずの生活じゃ、ないんだよ。

救世主ボランティアは気持ちよくてやめられないんだよね、
ちょっとわかるけど。
職があるのに働かない人にも義援金はまだ配られているもの、
政府もよくわかんないけど。

ボランティアが担えるのは、今この時。点だ。
点をつなげて、線に、面にして、継続的な未来を作るのは、
当事者だ。
ボランティアという中途半端な立場は長く続けるべきじゃない。
どちらにも益がない。
終了して、他の土地で自分の人生を歩くか、
留まって、ここで、
今度はボランティアとしてではなく、復興の当事者として、
自分の人生を歩くのか。

できれば留まって、ここで一緒に生きてほしい。
被災地、マンパワー少なすぎるもの。
でも留まった外部の人は、
葛藤とフラストレーションの塊になるだろう。
すごく大変な役割だと思う。
他でやれる場所があるのに、
あえてここでそれを背負う必要があるのか。
大切な人生、楽しく生きたものが勝ちだもの。

私も自問の日々だけど。^^;

今度被災地ができてしまったら、
出来る限り私は現地へ行くだろう。
今受けている様々な恩を返せるのは、
そのときしかないもの。
そして、ぶつかるであろうボランティアの課題。
答えを探したい。
被災者としての今をしっかり生きて。


息子はたくさんの支援を受けながら、
「僕はかわいそうな子じゃないよね」と確認する。
私の違和感の全てを代弁してくれた。

楽しい日常を作ろう。。


***2012/11/1追記***
ボランティアにもいろいろな形がある。
個人ボランティア、団体ボランティア、
単発、継続、定期的、現地、遠隔、etc...
それぞれ担い手の思いや条件でなされていて、
正解は千差万別。
やり方は問題じゃないんだ。
ひとつ、共通で大切なのは、
「現地」の満足を考えること。
「自分」の満足じゃないんだな。

至極当然でわざわざ言うことでもないけど、
日々立ち返りたい核だ。
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仕事 | 11:43:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
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